幽霊

パパは幽霊を見たことがある


最初は

高校生の時 季節は今頃 

学校から帰ってきて 2階の部屋に向かう

リビングを横目で見ながら 「ただいま~」

母さんの横に ハゲたじいさん

お客さんかな?

着替えて 1階に下りる

あれ? いない

母さんに聞いても 誰もいなかったと

父さんの親父さんは ハゲてたらしいけど

写真もないから 確認できなかった

確かに そこに いた と思う


2回目は

やはり 高校生の時 自分の部屋

夏の 夜7時位かな

窓の外を 人の形をした白い何かが ゆっくり横切った

頭の部分には 黒い髪らしき物

当時の友人の親が言うには

パパの家は 霊の通り道になっていると

玄関に盛り塩をするように言われた


パパは高校生の時に 肺の病気になった

その時 その友人の親に言われたのは

パパの父さんの母さんの父さん(ひいじいさん)が

肺の病気で亡くなっている 成仏してないから

墓参りしなさいと

パパが病気になる1年前に父さんも同じ病気になった

話的には鳥肌が立つけど

成仏してないから孫を病気にするってどーなのさ


3回目は

1人暮らしをしていた 神奈川のアパート

アパートの駐車場に車を止めて 部屋に向かうとき

パパと友人の前を 白いモヤ 雲みたいな 

それが スーっと 横切った

友人が言うには 人の上半身 だそう


4回目は

見たわけじゃないけど

ママが撮ったパパの写真

パパの肩に 肌色の手 らしきものが

画質が悪いから なんともいえないけど


あと

居酒屋の入口で 手相を見る人がいたので ママと見てもらった

ちょうどその日は 大先生 らしき人がいるとの事で 見てもらう事に

その大先生やらは パパを見るなり ビックリした顔で

「そんなに肩にのってる人 みたことがない すぐに除霊しなさい」

浅草にある事務所? に行きなさい と言われた

言われちゃうと気持ち悪いから ママと旅行気分で行くことに


約束は11時

パパたちは早めに着いた

玄関には 貼紙があって 横にある水で口と手を清めてお入り下さい

ママと うがいして 手を洗って 玄関を開けた

出てきた人が まあ胡散臭いこと 白装束 オウムか!

うがいして手を洗った事を伝えると

「え~ 最近水を変えてないんですよ~」

いい加減にしてもらいたい

まあ 水を飲んだわけじゃないから いいや


で 奥の広い部屋に通され 大先生の大先生が来るのを待つ

待てど暮らせど 来ない

約束の時間は過ぎてる

白装束の信者にぶち切れる 信者はオロオロして

先生と連絡が取れないそうだ

じゃあ帰る て言っても 信者に囲まれて 帰さない雰囲気

最終的にまずいことになったら大暴れすればいいや

と思いながら 大先生の大先生を待つ

結局 13時

てめえ 何時間待たせる気だ!ふざけるな!

「ごめんなさい 起きれなかったから あなたの肩の霊達が除霊してほしくて

私に飛んできてしまったの」

はい?あなたは馬鹿ですか?

じゃあ もう肩にはいないじゃねえか 帰るぞバカヤロウ

わざわざ浅草まで くだらない


神も 仏も 何回も見た幽霊も 信じなくなったのはその時からかな


幽霊は 確かに 見た 気がする

昔の事だし 見間違いかも 

第一 ママが出てこないし

心霊スポットとか行ってみようかな

夜のお墓とか

そこで もう一度 幽霊を見れたなら

ママの存在を 信じれるのに

盆休み

今日からお休み

とはいっても ママがいなくなってから ほぼ仕事していない

自営業だから 休みも自由だ

もう三ヶ月 何もしていない

なのに 盆休み 

何もすることがないよ

ママがいたら

旅行か ゴルフか 釣りか


昨日の夜 19時  「何してますか~?」

友達から電話があり パパの家で飲むことに

2人できて 朝まで飲んだ

ワインが6本 焼酎が1升

ベロベロになった まあ いつもの事だけど


その友達の父親の話

何年か前に亡くなったらしい

肺ガン 体中に転移して 

ガンが見つかって 2年位で亡くなった

最期の何ヶ月かは 歩けなくて 排便も 自分の意思で できなくて

情けない 情けない と 泣いていたと

身体もどんどん弱って 医者が もう限界です と

言った次の日

父親のお母さんが 自宅で 首を吊った

遺書には 息子を先に逝かせるわけにはいかないから

父親には 亡くなった事だけ伝えたみたいだけど

涙が止まらなかった


パパが結婚したばかりの頃

パパの友達の父親が亡くなった

原因は知らないけど お通夜に行った

それから 49日が過ぎて 次の日

母親が 首を吊った

悲しくて悲しくて お通夜で泣いてしまった

あの世で 旦那さんに会いたい一心で なのか

この世が 辛すぎるのか


いずれにせよ

うらやましいと思う

当時は悲しいと思ってたけど

ママがいなくなった今

その気持ちが痛いほど分かる

25年前

ママと結婚して 2Kのアパートを借りました
妊婦だったけど パパのお世話を 一生懸命してくれました
当時のパパの職業は 長距離運転手
といっても 住まいは静岡県だから
東へ行っても1000キロ 西へ行っても1000キロ
2日に1回帰ってくる
最初は料理も満足にできなかったけど 頑張って作ってくれました
お弁当も2つ持たせてくれました
妊婦で大変だっただろうに ホントに ありがとう
そのうち 男の子が生まれました
ママはすごく 可愛がってました
お風呂も1人で入れてたんだよね
夜泣きした時も 
頑張って子育てしてました
パパは 何もしませんでした
お風呂に 1回だけ 入れたことがあります
湯船で うんこ 
「うわああぁ」って
「そんなことで びっくりしないでよ」
そりゃそうだ
だから パパは 風呂上がりの子供を拭く係に
それも2日に1回だから ほぼママが1人で子育てしてました
同世代の女の子たちが 青春してる時に ママは頑張ってました


子供が歩くようになって
2Kじゃ狭いよね みたいな話で 引っ越しを
今度は 3LDK
広さと安さを追求した結果 北向きの部屋 しかも1階
しばらく住んだけど
陽の当たらない部屋は良くないねってことで
再度 引っ越し
家賃は高いけど 新築で2階の3LDK
新築はキレイでいいですね 陽当たりも最高


そうこう暮らしているうちに 子供も幼稚園に行く年頃に
でも ママは 幼稚園に行かせませんでした
パパも無知だったので 何歳から幼稚園に行くのか知りませんでした
だから 毎日毎日 ママは子供とお散歩
のどかな日々の暮らし


ある日 ママが子供と散歩していると
年配の女性が
「あら かわいいわね この子いくつなの? 幼稚園はどこ行ってるの?」
行かせてません と答えると 
「だめじゃない 幼稚園に行かせないと小学校に行ったときにコミュニケーションとれないわよ 明日から来なさい 入れてあげるから」
年配の女性は 近所の私立の幼稚園の園長さんでした
本来は 試験があって 入園を決めるらしいけど 特別にって 入園することに


次の日 子供を送って行って
ママは幼稚園の門の前で ずっと泣いていました
幼稚園の裏手に回って 教室をながめてたり
ちょっとした ストーカー
でも 子供は 楽しそう
子供には 子供の世界があるんですね
ママも子離れしないと
パパも 子供も ママの大きな愛に包まれて 生きてたんだね
幸せだよ
ママありがとう