下を向いて歩こう
転ばないように
小石でもつまずいてしまうから
上なんか見て歩けない
踏み外したら終わりだから
あえて上を向いて歩いて
踏み外そうか
苦しいな
奈里ちゃん
苦しいな
下を向いて歩こう
転ばないように
小石でもつまずいてしまうから
上なんか見て歩けない
踏み外したら終わりだから
あえて上を向いて歩いて
踏み外そうか
苦しいな
奈里ちゃん
苦しいな
奈里ちゃんがいなくなって
1年と7ヶ月
長いような 短いような
毎日を過ごしていると 長いな~ と感じる
過ぎ去った月日を 思い返してみると あっという間だったな と
まあ そんなものでしょう
パパが死ぬとき
あっという間だったな と感じることができるだろうか
それとも 長く辛い月日だった と思うのだろうか
どっちでもいいか
いつになったら 寿命がくるんですかね
そろそろ いいですよ
泣くことにも 疲れました
飽きました
もし 奈里ちゃんが どこかで見ていたら
もう泣くのをやめたの?
奈里ちゃんへの思いは そんなもんだったの?
そう言われそうだ
よく そんな泣いてばかりいると死んだ人が浮かばれない と言うけど
それは 嘘だな
嘘 というか 奈里ちゃんとパパには 当てはまらない
泣くことによって 愛の大きさ 愛の深さ が 測れるのだと思う
だったら ずっと泣いてなくちゃ
もし 別世界があるとしたなら
奈里ちゃんも きっと 泣いてるよね
早く 一緒に暮らしたいね
奈里ちゃん
今日は 美味しいもの 食べようね
心が貧困になっています
幸せそうな人たちを見ると
うらやましいし 妬ましい
その笑顔が 無くなってしまえばいい
みんな 不幸になればいい
そんなことばかり考える
ダメ人間
それだけ 奈里ちゃんの存在は大きくて
パパは 守られて生きてきたんだ とも思う
その奈里ちゃんは もういない
どんなに 嘆いても 悲しんでも
ひとりぼっちに 慣れなくはならない
よく 「乗り越える」 という言葉を目にするけど
「乗り越える」ってなんだ?
悲しみを背負って生きること?
もう やってるよ
なら 悲しまなくなること?
そんな日は 来るのだろうか
奈里ちゃんが いなくなって 1年半
パパは 何も変わっていない
まだ あの日にいる
あの日 といっても 奈里ちゃんが 死んでしまった日ではない
倒れた日
4月21日
必死で 心臓マッサージをした日
人工呼吸をした日
地獄に落とされた日
あの日に すべてが終わってしまった
もう終わっているのです